ジェネシス
バーネット・ニューマンの初期の絵画は、まるで生物の細胞の動きのようで、あの有名な縦のストライプの洗練された絵画とはあまりにもかけ離れている。
ニューマンが絵画に取り組んだ頃、アメリカの美術は古典的な風景画の世界で、ヨーロッパのシュールレアリズムの前衛的世界とはあまりにも違い、のどかな世界だった。
ニューマンの他、新しいアメリカ美術を作り出そうという画家たちロスコ、ポロック等は様々な試みに悪戦苦闘する事になるのである。
ニューマンの初期の絵の「ガイアへ」などは、あまりにもまだ原始的で未完の模索の習作の域を出ない。
ガイアへ
しかし題名には初期からこだわりを持ち、タイトル「ユークリッドの死」などはニューマンの論理的な思考を既に感じさせるもので、独自の個性が見える。
ユークリッドの死
マーク・ロスコや、ポロック、デ・クーニングなどの画家とは違う論理的思考で既に絵画を模索していたのだ。
あのクールな画面のアド・ラインハートでさえも、アメリカの雑誌の仕事がらか、美術史の漫画を描いた軽さがあった。
ニューマンほど画家らしい遊びの部分がないストイックで知的な画家はいなかった。スピノザへの傾倒や鳥類学、地質学などに興味を持っていた広い探究心がある。
政治家への立候補もしている。もちろん当選する気持ちはなかった。
あの有名なストライプの単純な画面の言わば誰でも描ける技術の必要ない絵で、ポロックや、ロスコと議論するにはかなりの理論武装が必要だったに違いない。
知的で哲学的な深さをもったニューマンの絵画を、どう他人に理解させるか、苦労したに違いない。
タイガースアイという雑誌の論文にニューマンは論文を書いたし、
「プラズマ的イメージ」という論文ではギリシャ時代の美術のエネルギーを称えて自分の絵画を必死に説明もしている。
本当に論理的に説明に難解な語り口で苦労のあとが見える。
初期のまだ画家らしいあやふやな部分のある絵を見ると、少し、ほっとするのである。
ニューマンの近寄りがたい冷たい知的な画面も、初期は、もっと人間的なあいまいな部分が見えて、親近感がわくのである。
ニューマンの白黒の世界、「十字架の道行き」は、人間の世界を越えてしまった究極の形而上としか説明できない謎の世界なのである。
十字架の道行き
アメリカ美術の最初のヨーロッパを越えたターニングポイントだったのである。