名作映画のポスター傑作選

映画のポスターのインパクトが高いものを取り上げてみます。

ジョーズ
ジョーズ

映画の内容よりも1枚の絵で観客に期待させることが出来るかの作品なのでごちゃごちゃしたり俳優の名前を並列して並べるものはダメです。

あくまでもポスターを見て内容に期待を膨らませる絵が必要です。

言葉をいくら書いて説明しても意味がないので、1枚の絵のインパクトでの期待と内容をうまく表現しているものを選びました。

インパクトはこのジョーズが一番怖いし,

内容も表現してるし、期待を持たせる絵として映画史に残るポスターだと思います。

サイコ
サイコ

サイコのポスターも傑作です。この叫びは何だ?という疑問が生まれます。シャワールームで一体何が?と思わせます。

ローマの休日
ローマの休日

ローマの休日はこのヘップバーンの笑顔と王女のギャップがいい。ロマンチックなドラマが想像できます。顔のインパクトでもう傑作です。

シァイニング
シャイニング
シャイニングもこの顔のインパクトで映画を象徴しています。見事です。破れたドアから出た顔というだけで異常です。
エスター
エスター
エスターのポスターもいいです。エスターの凄さがこの1枚で分かります。
羊たちの沈黙
羊たちの沈黙

羊たちの沈黙はこの蛾に象徴されています。シンプルで見事な絵になっています。

風と共に去りぬ
風と共に去りぬ

風と共に去りぬもロマンとヴィヴィアン・リーの美しさがこの絵で象徴されています。

犬神家の一族
犬神家の一族

犬神家の一族も見事な殺人現場のシーンだと思います。推理サスペンスとしてこの絵は最高でしょう。

白っぽい足も不気味です。

さらば宇宙戦艦ヤマト
さらば宇宙戦艦ヤマト

さらば宇宙戦艦ヤマトも後ろ姿が、内容を象徴していて上手いと思います。子供向けとしては地味過ぎるかもしれません。

未知との遭遇
未知との遭遇

まさに未知との遭遇の絵になっていると思います。不思議な期待が持たされる絵です。

フレンチコネクション
フレンチコネクション

フレンチコネクションはこの構図がいいです。

太陽がいっぱい
太陽がいっぱい

アランドロンの悲しさがこの濡れた表情にうまく出ています。

悲しい内容がわかります。

以上、絵で象徴が上手いポスターを取り上げました。

ゴチャゴチャ絵は選びませんでした。シンプルで分かりやすく文字のいらない完成度の絵は中々ないものだと思いました

2001年宇宙の旅 映像美の後半

「2001年宇宙の旅」の後半の映像美です。

HALコンピュータ
HALコンピュータ

映画の主役のHALコンピュータは、1968年当時の最高頭脳で船員と会話し、雑談も出来た。

HALコンピュータは魚眼レンズから船員と会話するだけのものでシンプルだった。

動けるわけでもないし、人間的な外観ではない。

ただの魚眼レンズとスピーカーだった。

HAL9000
HAL9000
ボーマン船長と絵の出来を会話する
ボーマン船長と絵の出来ばえを会話するシーン

ボーマン船長が描いた船員の顔を描いてHALに見てもらうシーン。

コンピュータと普通の会話を楽しんでいる。すごい人工知能だった。

冬眠している船員
冬眠している船員
映画のスケッチ
映画のスケッチ
HALの周りの装備
HALの周りの装備
通信のアンテナの故障をチェック
通信アンテナの故障をチェックするフランク・プール

船外に通信アンテナの故障があるとHALに警告され、調べるが故障はしていなかった。

音のしない宇宙が不気味だった。

HALとの故障のやり取り
HALとの故障のやり取り

HALに疑問を感じて問いただしても「私はミスをしません、完璧なコンピュータです」と間違いを認めなかった。

そこでHALに気づかれないように、修理用飛行船の中に隠れてボーマン船長とフランクはHALの機能を止めようと決める。

スペースポット
スペースポッド

デザインもカッコよかった。

相談している場面
相談している場面
口の動きから会話を解析
口の動きからHALは会話を解析

HALに聞こえないようにして、スペースポッドの中の密室で会話する。

しかし、HALは口の動きからその内容を解析して理解してしまう。

自分の機能を止めようとしているのを知って阻止しに来る。

宇宙空間に飛ばされる
宇宙空間に飛ばされる

船外へ出て捜査している時に宇宙服の機能がHALによって停止され、宇宙空間に放り出される。

空気がないので早く空気を送ってやらないと死んでしまう状態になる。

どんどん船員のフランクは遠くに飛んで行ってしまった。

この無限の宇宙に投げ出される恐怖がハンパでなかった。

フランクを救出するボーマン船長
フランクを救出するボーマン船長
スペースポッドのアームで、なんとかボーマン船長は、フランクをキャッチして、空気のある船内に急いで入れなければならなかった。
HALの拒否
HALの拒否

しかし、ボーマン船長は船内に戻るように格納扉を開ける様にHALに命令するが、HALは拒んだ。

HALに拒否され自分でドアを開ける
HALに拒否され自分でドアを開ける

スペースポッドが船内に入れないので、手動で出入口をアームを使って開けて、ボーマン船長だけは何とか船内に入ることが出来た。

フランクはもう助からなかった。

ボーマン船長だけ潜入
ボーマン船長だけ非常口から潜入
非常の扉から入る
非常の扉から手動で入る

何とか必死で船内に入ることが出来た。緊急脱出の手段を使い、勢いで船内に入る危険な方法だった。

なんとか船内に入る
なんとか船内に入る

何とかボーマン船長は入ることが出来た。

船内はHALによって、冬眠中の3人の生命維持装置が止められ、死んでいた。

よってHALコンピュータはボーマン船長によって機能を止められることになる。

HALの反乱も失敗に終わる。

HALのメモリー機能を外す
HALのメモリー機能を外す

ボーマン船長は、すぐにHALの機能を止めるようメモリー回路を外しにかかる。

回路を外す
回路を外す

HALはやめてくれと頼むが、ボーマン船長は機能を外してゆく。

HALはだんだん眠くなってきたと言い、アメリカのHALを作った工場で教わった歌を歌いだす。

しかし機能がどんどん外され、歌がゆっくりになってくる。

ボーマン船長の怒り
ボーマン船長の怒り

ボーマン船長の怒りの表情が良かった。

冬眠している船員の生命維持装置も停止されていたので、フランクと船員を殺したHALの反逆への怒りはすさまじかった。

キューブリック
キューブリック監督
木星での秘密の指令
木星での秘密の指令

HALを止めて手動に切り替えると、ここで木星での地球外生命体の調査をするように、あらかじめセットされた、秘密の指令が自動再生された。

ボーマン船長は、地球外生命体の調査に木星に行くことになる。

木星に行く途中で、機体がモノリスに接触し、ボーマン船長はスターゲイトという次元の異なる空間を体験する。
この空間の映像と音の世界が素晴らしかった。
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
ボーマン船長の瞳
ボーマン船長の瞳のアップ画像

ボーマン船長の瞳が度々アップで大画面に映され、色彩の洪水に圧倒されている様子がわかる。

スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間
ボーマン船長の瞳
ボーマン船長の瞳
スターゲイトの空間
スターゲイトの空間

このスターゲイトの空間がすごかった。

こういう画面が何分間もひたすら続き、見ていて感覚が麻痺しそうになった。

大画面の映画の迫力は凄かった。

ひたすら数分の間、色彩の洪水が流れる。

瞳の色が何度もアップで入る。時空を超えてワープしている状態で異世界に突入しているのがわかる。

ボーマン船長の表情
ボーマン船長の表情

スターゲイトの時間中に、ボーマン船長の表情がどんどんおかしくなってくる。

時間の壁を越えているような超スピードの移動で気を失いかけていた。

ロココ調の空間
ロココ調の空間

そしてその時空の壁を越えたスターゲイトが終わると、気が付くと突然、ロココ調の真っ白な部屋のある世界に来ていた。

昔の貴族の食器やベッドがあり、人間のいる地球かと間違える日常の光景が見える。

静寂な画面に急に変わり、冷たい空間になる。

見る人はびっくりする。

スペースポットからロココの部屋
スペースポッドからロココのへや

あまりにも急に音と色の洪水から真っ白な部屋に変わるのだ。

あっけにとられるボーマン船長
あっけにとられるボーマン船長

そしてボーマン船長は別室でもう一人の年老いた自分の姿を見ることになる。

夢の中の世界のようで室内の空間に息の音だけが響き不安なほど静寂な空間であった。

ボーマン船長の顔
ボーマン船長の顔

ボーマン船長はもう一人の年老いた自分が貴族の食器で食事している光景を見ていた。いつの間にか見ている自分も時空を超えて老人になっていた。

老人のボーマン船長
老人のボーマン船長
ロココ調内での撮影風景
ロココ調内での撮影の様子
死ぬ前のボーマン船長
死ぬ前のボーマン船長

いつの間にかボーマン船長は年を取って死ぬ間際の自分を見つめているのだった。

モノリスが登場
モノリスが登場
死から再生へ
死から再生へ

そして気づくと自分がスターチャイルドになって胎児に戻り、地球を見ていた。という輪廻転生のような物語です。

ボーマン船長はスターチャイルドになった
ボーマン船長はスターチャイルドになった。

リゲティという現代音楽の声楽合奏のレクイエムが、モノリスの場面で常に発せられて死者のざわめきのようで不気味でした。

男女の震えるような叫びのような合唱で、怖い効果を出していました。

そしてエンディングには、再び冒頭のリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭部分の壮大なオーケストラ音楽が流れ、エンドロールにはヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」のワルツで終わるのでした。

音楽の効果が実にうまく使われていました。キューブリックの才能に圧倒された思いで映画は終わりました。

BGMがクラシック音楽だけだったので、軽くならずに哲学的で宇宙の神秘感が良く出ていたと思います。

宇宙は音がない無音の世界なので、映画の全体が船員の呼吸音だけが聞こえる静かな音響が良かったと思います。

スターゲイトの色彩の空間も大画面で見ると迫力がすごくて、テレビ画面ではあの迫力は味わえないと思います。

ぜひ大画面で音を大きめにして見てほしい映画です。

スターチャイルドと地球
スターチャイルドのボーマン船長と地球
スターチャイルド
スターチャイルド
エンディング
エンディング画面

 

2001年宇宙の旅 映像美 前半

「2001年宇宙の旅」の映画の前半の映像美をまとめました。

2001年宇宙の旅 モノリスと並ぶ太陽のシーン
2001年宇宙の旅 モノリスと並ぶ太陽のシーン

1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の2001年宇宙の旅は、映像が素晴らしいので、前半後半に分けて取り上げます。

1968年の頃は、人類がやっと月に行けるという時代で、公開されたタイミングも良かったし、日本では大阪万博のスローガンの「人類の進歩と調和」というテーマなど、未来が明るかった時代だった。

しかし、キューブリックは、すでにこの時代にコンピュータの人工知能と人間の不協和を描いている。

原始人
原始人
弱肉強食
弱肉強食の時代

弱肉強食の時代から始まる。導入部の肉食獣の迫力が凄かった。

モノリスの登場
モノリスの登場
原始人
原始人

そして原始時代から謎の物体モノリスが登場し、原始人が触れた時に人間が進化し、武器を持つことで進化が始まったという理屈が面白かった。

骨が宇宙船に
骨が宇宙船に変わるシーン

いきなり現代の未来のシーンに映像が飛ぶのにびっくりする。

美しき青きドナウのワルツというクラシック音楽で、明るい未来を演出していた。

テレビ電話
テレビ電話
宇宙旅行の最中
宇宙旅行の最中

宇宙船で寝てしまってペンが宙に浮くシーンも、いいシーンだった。

宇宙船のCA
宇宙船のCA
宇宙船の廊下
宇宙船の廊下
宇宙船の廊下の斬新なデザインの椅子
宇宙食のシーン
宇宙食のシーン

すでに宇宙食も登場した。

乗組員ボーマン船長とフランク
ボーマン船長とフランク

ボーマン船長のいかにも宇宙へ行けそうな理系っぽい知的な顔つきがカッコイイ。

船内の様子
船内の様子
船内は運動できるようになっていて、ランニングしながらシャドーボクシングをしていた。
シャドーボクシング
シャドーボクシング

木星までは遠いので他の3名は冷凍の棺で冬眠していた。

冬眠中のメンバー
冬眠中のメンバー

音楽が不安感を感じる音楽で、宇宙の中の人間の孤独感を感じた。果てしない旅ということを思わせた。

テレビを見ているシーン
テレビを見ているシーン

テレビを見ているシーン。快適な生活をしている様子でリラックスしています。

回転する船内の仕掛
回転する船内の仕掛け

回転する船内の撮影は、観覧車のように丸いセットを作り、回していた。

やはりセットが一番凝っていてびっくりした。

全体に白で光沢がある仕上げのセットは無機的で、しかし、かっこよかった。

キューブリックの美術への凝りようが良くわかります。

船内の様子
船内の様子 キューブリック
原作者アーサー・C・クラーク
原作者アーサー・C・クラーク

脚本は原作のアーサー・C・クラークというSF作家とキューブリックの共同脚本。

映画の全般は終わりにします。

地獄の黙示録 後半の名場面 ややグロテスクな画像あり

地獄の黙示録の後半は、グロテスクな世界観も描いていて、カーツ大佐の狂気の演技が見事です。

前半が戦闘場面が多く派手だったのに対し、後半は落ち着いた展開で、戦車や戦闘機などは活躍しません。主人公ウィラード大尉の哨戒艇が川を更にのぼります。

カーツ大佐の潜んでいる狂気の軍までの静かな展開です。

カーツ大佐と出会ってからは、ウィラード大尉のカーツ大佐との人間対人間の個人の価値観の戦いを描きます。とても内要が深くなってきます。

アメリカ映画的でない深い哲学的なカーツ大佐とウィラード大尉の普通の人間との問答が、観客には難解な映画に見えるかもしれません。

アメリカ軍への慰安訪問
アメリカ軍への慰安訪問

哨戒艇が川をさらに上っていくと、アメリカ軍のベトナム奥地で戦っている兵士に、慰安の芸能人たちの訪問がある場所に出くわします。

プレイメイトの3人がダンスショーを披露し、アメリカ兵士は大喜びします。この映画で唯一、明るい雰囲気のシーンです。アメリカ映画らしい

派手なシーンで見ている観客も緊張から解放される効果があります。

アメリカ軍への慰安訪問
アメリカ軍への慰安訪問

その後、哨戒艇が川をさかのぼる途中に、北ベトナム軍と疑わしき民間人の船に遭遇し、戦争の物資を隠して運んでいないか点検する場面があります。

クリーン
クリーン

そこで何か隠していると疑わしいベトナム民間人を、若い哨戒艇のアメリカ人兵士のクリーンが撃ち殺してしまうのです。

しかし、そこで市民が必死で隠していたのは武器ではなく何と、一匹の子犬だったのです。

そこで元サーファーのランスがベトナム人を殺した償いの意味を込めて、子犬を一緒にボートで連れていくようになります。

哨戒艇のメンバー
哨戒艇のメンバー 上左チーフ、上右シェフ、下左ランス、下右クリーン

さらに川をのぼっていく途中で、メンバーの部下の元料理人のシェフが、「マンゴーを食べたい」とボートを降りてジャングルに取りに行きます。

そこで野性のトラに会い、たまげたシェフは「もう二度とボートを下りない」と叫ぶ、シェフはボートを降りると死ぬところに今いる事に死にそうになり気が付くのです。

ジャングルのシーン
ジャングルのシーン

その時の暗い中のジャングルが不気味で、ウィラード大尉もシェフに付いていくことになり、そのおかげでウィラードがトラを射殺出来たのです。

シェフはおびえて、もう陸には下りないと、言い出し、戦場の怖さが分かった映画ならではのシーンでした。

この暗い映像は十分ジャングルの闇の怖さを感じさせました。

ここでベトナム最後の砦の、ドラン橋の戦線に到着する。そこで哨戒艇の燃料を補給できるようになっていた。

しかしその部隊は指揮官も不在のめちゃくちゃな乱れた戦場になっていた。

指揮官不在
指揮官不在

ウィラード大尉がドン橋の戦線の指揮官に挨拶をしようとするが、戦場の部下は、

「あんただろう?」と言われてしまう。

ドラン橋戦線は指揮官不在の戦場になっていたのです。

ドラン橋は夜で退廃的な雰囲気だった。
夜のドラン橋戦線のシーンは退廃的な雰囲気だった
ドラン橋戦線をあとにする
ドラン橋戦線をあとにする

仕方なくウィラードがドラン橋戦線をあとに去ろうとすると、戦場のアメリカ兵たちが連れてってくれ、と頼みながら哨戒艇に乗り込もうとされる。この場所をとにかく逃げたい兵士たちが、たくさんいてウィラードが恐怖を感じる場面だった。

急いで哨戒艇はドラン橋を去る。この闇の中の哨戒艇のシーンも戦争の無茶苦茶な不気味さを表していた。

川を遡さかのぼって行くに従い、カーツ大佐の帝国に近づいているのが感じられた。ウィラードは野生の感で感じ取っていた。

そのうちに、急にジャングルから奇襲で哨戒艇が銃撃に会い、10代の若いクリーンが撃たれて死ぬ。母からの音の手紙を聴いている最中だった。

10代のクリーン
10代のクリーン
哨戒艇の船長チーフ
哨戒艇の船長チーフ

そのうち今度は、哨戒艇にジャングルから槍で奇襲攻撃を受け、哨戒艇の持ち主の真面目な性格のチーフが槍に刺さり死んでしまう。

チーフの埋葬
チーフの埋葬

チーフを川に埋葬し、哨戒艇を運転していたチーフに変わり、料理人のシェフとサーファーのランスが交代で操縦するようになる。5人だった哨戒艇のメンバーが、ここで3人だけになってしまった。

カーツ大佐の軍に到着
カーツ大佐の軍に到着

そして、ウィラードの哨戒艇はついにカーツ大佐の王国に到着する。

カーツ大佐の軍は不気味な外見の現地人で思い雰囲気でウィラードの哨戒艇を迎い入れる。

この場面のカーツ大国の現地人の異様さはかなりインパクトがあった。

おかしな国に来てしまったという異様な映像です。このメーキャップの人が凄い気持ち悪かった。

カーツ王国の登場
カーツ王国の登場

このシーンを見た中学生の当時の私は一番ショッキングだった。気持ち悪く、不気味で1979年当時は不気味で、頭の中が真っ白になりそうなショックを受けた。

カーツ王国の登場
カーツ王国の登場

いかにもジャングルの奥地にある狂った王国の表現だった。

カーツのベトナム軍と現地の民族の人が加わっていた。

カーツ王国
カーツ王国

カーツ王国には以前にカーツを暗殺命令を命じられた元アメリカ兵士も加わっていた。カーツ」を殺しに行って逆にカーツに洗脳されていたのだ。

そこでアメリカ人のカメラマンに出会う
そこでアメリカ人の報道カメラマンに出会う

そのカーツ帝国の中にデニス・ホッパー演じるアメリカ人の報道カメラマンがいた。ウィラードにカーツ大佐について色々と教えてくれることになる。

狂ったカーツ大佐の王国
狂ったカーツ大佐の王国
しかしそのカーツ王国には道に生首が転がっている狂った王国だった。

ウィラードと同行したシェフは、気が動転して、ここ以外ならどこで死んでもいい。と言い出す。

撮影風景
撮影風景

穴が掘られて現地の人の首だけ出している撮影風景。すごいシーンだった。

カーツ大佐の異常性を表現していた。

 

ウィラードは生け捕りにされる
ウィラードは生け捕りにされる

ウィラードは生け捕りにされカーツには会えなかった。しかしデニスホッパー演じるカメラマンは、お前は決してカーツに殺されないと言う。

このカーツの王国の状況をアメリカに帰って伝える役目は、ウィラード大尉のお前の仕事だと言うのだ。

カーツ大佐
カーツ大佐

カーツ大佐とやっと会うことが出来たが、カーツの心は苦悩に満ちていた。精神がすでに病んでいた。

カーツ大佐の詩の朗読
カーツ大佐の詩の朗読

軍の最高幹部になってもおかしくないエリートが、なぜこのようになったかを説明してくれた。

戦争では、ちょっとしたためらいや倫理観などで戦意を躊躇をすると、それは即、死につながるという。カーツは何も考えずに、躊躇なく残酷なことが出来る部隊がベトナム戦争で作りたかったという。

そこでカーツはアメリカ軍の最高幹部への道を止め、自分の思う最強の軍隊を、ここカーツ帝国で作りたいと思ったと語る。

カーツはベトナム戦争で、人間の道徳心をいかに捨てて戦えるかの最強の軍隊をここで作ろうとしていた。

だから残酷な生首が転がっていても平気な王国だったのだ。

シェフの死
シェフの死

そのうちウィラードの部下の哨戒艇に残っていたシェフがカーツに殺された。もうランスとウィラードしか生き残っていなかった。

シェフには爆撃命令を無線でするようにウィーラードから聞いて、カーツ王国に入らずに哨戒艇でウィラードからの無線を待っていたのだった。

これでカーツ王国を爆撃する手段がウィラードには断たれた。

しかしウィラードはカーツに監視もされずに、自由にカーツ王国で過ごすことができた。ウィラードはカーツ暗殺の時を静かに過ごすふりをしながら、うかがっていた。

祭りの日
祭りの日

カーツもウィラードに殺される時を待っているようだった。カーツの王国の祭りの日に、暗殺を実行するウィラード。

ウィラード
ウィラード
ウィラードは川に潜水し、カーツのアジトに侵入する。ウィラードが悪魔のように見える。
暗殺
暗殺
カーツは詩を朗読していた
カーツは詩を朗読していた。
カーツの死
カーツの死
恐怖だ
恐怖だ真の恐怖だ

カーツは待っていたようにウィラードに抵抗せず殺された。

最後に恐怖だ。真の恐怖だと言って死んだ。どこかカーツは満足して殺されたようだった。ウィーラードに自分のベトナム戦争やカーツ帝国で体験したことを、アメリカに戻って伝えてくれと頼むように死んだ。

カーツ王国を去る
カーツ王国を去る

カーツの残した貴重な資料をもって、ウィラードとランスはカーツ王国をあとに哨戒艇で去る。

現地の軍はおびえて見守っているだけだった。

カーツの死はカーツ王国の軍の終わりでもあった。

とにかく地獄の黙示録は哲学的で難解な後半です。暗い内容と、前半の派手な戦争シーンとはかけ離れた、カーツとウィラードの対話が中心で、地味な内容なので映画公開当時に日本ではあまり一般に大ヒットまではしませんでした。アメリカ映画らしくなかったので、見た人は難解で戸惑っていました。

しかし、ベトナム戦争でのカーツ大佐の戦争哲学を知るに及んで、ウィラード大尉の心境の変化が上手く描かれていて、私は今でも大好きな映画です。

アメリカ映画らしくない難解さが私には好みなのかもしれません。

カーツ大佐
カーツ大佐
アメリカ軍最高幹部
アメリカ軍最高幹部
ギルゴア中佐
ギルゴア中佐

ぜひ一度購入して、じっくり好きな時に見てみて下さい。深い人間の闘争本能を味わえます。

ブレードランナー82年版 近未来的映像

ブレードランナー82年版の名シーンを集めました。

ブレードランナー名場面 近未来都市
ブレードランナー名場面 近未来都市

リドリー・スコットが1982年にこんなSF映画を撮っていたのは驚きです。

リドリー・スコットはエイリアンの監督なので、特撮には定評がありました。しかし公開当時は、あまり評判にならなかったのは作品が時代の先を行き過ぎていたのでしょう。

今見てもブレードランナーの近未来の都市の描き方は映画史に残ると言えます。

リドリー・スコット監督とハリソン・フォード
リドリー・スコット監督とハリソン・フォード

同じSF映画の2001年宇宙の旅が、ストーリーが哲学的で難解だったのに対し、ブレードランナーはストーリーも単純で、娯楽作品として軽く見られたのでしょう。

キネマ旬報のランキングでも25位でした。ETが大ヒットした年で、82年は他には炎のランナーや蒲田行進曲、転校生などがありました。ヴァンゲリスの音楽は炎のランナーでも注目されたシンセサイザー音楽でした。

冒頭のシーン 近未来都市
冒頭のシーン 近未来都市

これはリドリー・スコット監督が、飛行機から日本の上空で見た川崎の工場地帯の光景だという。

日本の川崎の工業地帯をリドリースコット監督が飛行機から見て感激したという。映画の全体の街は、東南アジアの台湾や香港をメインのイメージにして多国籍の街を作った。電飾の看板がいかにもアジアっぽいし、日本人の店のウドン屋の店員が登場して日本語のシーンもある。当時私は大学生だったので、大学の友達と川崎の夜光という工業地域にドライブに行ってヴァンゲリスの音楽をかけて楽しみました。そのぐらいブレードランナーは工業地帯の夜景の美しさを感じさせました。

近未来の都市
近未来の都市
未来都市のカット
未来都市のカット
近未来の都市
近未来の都市
目に映る近未来都市
目に映る近未来の都市

ハリスンフォードの目に映る近未来都市の映像。空を飛ぶ乗り物もかっこよかった。ヴァンゲリスのシンセサイザーがピッタリ合った音楽だった。

近未来都市
近未来都市
舞妓さんの電飾ボード
舞妓さんの電飾ボード

日本的な要素も入れて、多国籍化が進んでいるのを暗示していた。

当時は新宿のスタジオアルタぐらいしか電飾ボードは無かった。新宿のイメージの電飾ボードが、すでに使われていたという先端の街の取材力が見事。1982年だから最先端の技術でした。

近未来都市の制作現場
近未来都市の制作現場

デザインはシド・ミードというデザイナーが近未来都市をデザインした。サイバーパンクという用語も使われ始めた。日本では鉄男というサイバーパンクの映画が製作されていた時期に近い。

シド・ミードのデザイン
シド・ミードのデザイン

シド・ミードのデザインのスピナーspinnerという警察の車のデザイン。ブレードランナーで使われている。

レプリカントを発見する機械 フォークト=カンプフ検査装置
レプリカントを発見する機械 フォークト=カンプフ検査機

目の瞳孔で人間か人造人間か見分けていた。機械が少し古臭く見えた。

レプリカントの製造番号
レプリカントの製造番号
レプリカントと対面
レプリカントとの対面

薄暗くて不気味だった。暗いのでよくわからなかった。

レプリカント リオン
レプリカント リオン

初めに登場するレプリカントのリオンがとにかく狂暴で、スゴイ腕力だった。

レプリカントのボスは、どのぐらい怖いのか期待させられた。

レプリカントのフクロウ
レプリカントのフクロウ
レプリカントのレイチェル役ショーン・ヤング
レプリカントのレイチェル役のショーン・ヤング
レイチェル役のショーン・ヤング
レイチェル役のショーン・ヤング

女性のレプリカントのレイチェル。レプリカントの製造元のタイレル社の秘書でクールビューティーだった。

 

タイレル社
タイレル社
撮影風景
撮影風景
レイチェルの写真
レイチェルのポラロイド写真
レイチェルとデッカード
レイチェルとデッカード

デッカードに出会い、レプリカントの記憶が、人間の誰かの記憶が入れられていることを知る。そしてレイチェルは人間の記憶を思い起こし、デッカードに恋することになる。そしてデッカードがリオンに殺されそうなピンチを救うこととなる。

タイレル社の博士
タイレル社のタイレル博士

レプリカントを作ったタイレル博士。フクロウもレプリカントだと言う。秘書にレイチェルを雇っている。頭脳明晰な学者だった。

レプリカントの寿命は4年に設定され、変えることは出来ないという。月での労働力に作られたもので、使い捨てのロボットだったのだ。悲しい現実を突きつける。

空飛ぶ飛行機の中 スピナー
空飛ぶ飛行機の中 スピナー

乗り物は、帰ってきたウルトラマンのマットジャイロに似ているように思った。

ヘリとホバークラフトを混ぜたようなデザイン。

空中を飛ぶ乗り物 
空中を飛ぶ乗り物
捜査中のデッカード
捜査中のデッカード
昼飯を食べるシーンのデッカード
昼飯を食べるシーンのデッカード

ハリスンフォードが昼食を食べるシーンで日本人の店主が登場。多国籍化の様子がわかる。

街の映像
街の映像
常に酸性雨が降り、薄暗い感じが、新宿の歌舞伎町を思わせた。
街のイメージイラスト
街のイメージイラスト
プリス
プリス

もう一人の女性レプリカントが恐かった。プリスというダリル・ハンナ演じる運動神経抜群の人造人間で、ハリスン・フォードをあと一歩というところまで追いつめる。バク転や宙返りが出来て、デッカードに馬乗りになり首を絞める。

プリス
プリス

プリスの知り合いの人造人間のマスコットを飼っているセバスチャンの家でのシーン。タイレル博士に合う交渉手段を聞き出すためセバスチャンの家に来ていた。

セバスチャンとプリス
セバスチャンとプリス
ロイ演じるルドガー・ハウアー
ロイ演じるルドガー・ハウアー

レプリカントのボスのロイ(ルドガー・ハウアー)が、レプリカントを作ったタイレル博士に、寿命を4年以上伸ばせないか交渉する場面。タイレル博士には無理だと言われる。

そのように作られているから無理だと説得される。

そこでロイは怒り、タイレル博士を殺してしまう。

捜査中のデッカード
捜査中のデッカード

捜査中のデッカード、とにかくサマになっている。カッコイイ。

捜査中のデッカード
捜査中のデッカード
多国籍の人種の街のレイチェル
多国籍の人種の街のレイチェル

多国籍の街のロサンジェルスという設定も良かった。アジア人や色んなメークをした人がてんこ盛りだった。

デッカードの追跡シーン
デッカードの追跡のシーン

車の屋根に乗ってのすさまじい追跡シーン。

ゾーラ
ゾーラ

もう一人のレプリカントのゾーラ(ジョアンナ・キャッシディ)も登場し、デッカードに打たれて死ぬ。

ゾラの死
ゾラの死

ゾラはデッカードに撃たれてガラスのショーウィンドーに突っ込みながら死んでしまう。

名シーンだった。デッカードのゾラを撃つシーンもかっこよかった。

デッカード
デッカード

ここでレプリカントにも血が流れていることがわかる。残酷なシーンだった。

デッカード
デッカード

酸性雨が降る雨の中で、ゾラが街中で撃たれる場面は、レプリカントのボスのロイも偶然目撃し、デッカードへの復讐に燃えるのだった。

ロイとデッカードの対決 壁を突き破るロイ
ロイとデッカードの対決 壁を突き破るロイ

レプリカントのボスのロイは、仲間の復讐のためにデッカードに襲いかかる。これは壁を突き破って顔を出すシーン。ロイ、怖すぎです。

上半身裸のロイ
上半身裸のロイ

ロイの上半身裸で迫る怖さ。デッカードも絶体絶命に追いやられる。怪力でしかも頭脳明晰なレプリカントだった。デッカードは絶対絶命のピンチになる。

暗いビルでの死闘 デッカードも必死の状態
暗いビルでのロイとの死闘 デッカードも死に物狂い
デッカードピンチのシーン
デッカードピンチのシーンの撮影風景
ビルから落ちそうなデッカード
ビルから落ちそうなデッカード
デッカードのピンチを救うロイ
デッカードのピンチを救うロイ
ロイの寿命のシーン
ロイの寿命のシーン

しかし、ビルから転落しそうなデッカードを救ったのはロイだった。

ここでロイに4年の寿命が来たのであった。

ロイ最後のシーン
ロイ最後のシーン

雨のビルの屋上でデッカードを助けたのちに、息絶える。

最後にハトが飛んでいく
最後にハトが飛んでいく
何とも切ないラストシーン
何とも切ないラストシーン
レプリカントの仲間をすべて失い、最後に自分も寿命で終わる。なぜデッカードを助けたのかは謎のまま終わった。

地獄の黙示録の前半の名場面集

地獄の黙示録はフランシス・コッポラ監督の歴代の作品の中でも傑作映画で、名場面がたくさんあります。

今回は映画の前半部分の写真を中心に名場面を紹介していきます。

カーツ大佐を暗殺命令するのはハリスン・フォード
カーツ大佐を暗殺命令するのはハリス・フォード

気が付かなかったが、このメガネの人物がハリスン・フォードだった。

メガネをかけているし、野性味がなく、言われなければ気が付かないけれど、確かにハリスンフォードだったのだ。

カーツ大佐を暗殺せよ
カーツ大佐を暗殺せよ

戦争で人間の精神が限界を超えると、悪魔が天使の心を打ち負かすと言うセリフがあった。

カーツ大佐は、精神の限界を超えてしまったのだと説明される。

冒頭のシーン
冒頭のシーン

マーチン・シーンのウィラード大尉が、指令がまだ来ないでサイゴンで部屋でくすぶっている様子。

酒浸りになりやり場のない焦りを表現するシーン。

このシーンでは、ドアーズのジ・エンドがバックで流れながら、自堕落な生活を送るウィラード大尉の様子が良かった。

早く戦争に参加して仕事をしたい、という不気味な単独任務の秘められたウィラードの焦りの表現が良い。

カーツ大佐の資料を読むシーン
カーツ大佐の資料を読むシーン

資料を読めば読むほどに、カーツ大佐の輝かしい経歴に驚く。このウィラードの不気味な不安感が不安をあおるBGMとともに流れて、カーツの不気味さが増して良かった。

カーツ大佐は、軍の士官学校を首席で卒業。真面目なだけではなくユーモアもあり、様々な勲章の受賞歴などで、軍の最高幹部になってもおかしくなかった人物だ。

それが、ある時から軍への態度が変わり始める。

軍の空てい部隊を2度志願し、やっと受理された。30過ぎのいい歳をしてから若手のやる厳しい空挺部隊で頑張った。

一体何故か?殺人を命ぜられたウィラード大尉に疑問が生じる。

カーツ大佐の写真
カーツ大佐の写真

カーツ大佐の資料を読んで、その経歴があまりにも立派で、なぜ暗殺するのか戸惑うウィラード大尉。

カミソリの上を這うカタツムリ、の不気味な詩を読むカーツ大佐の録音された声と、軍隊での輝かしい経歴に、ギャップがありすぎて戸惑うウィラード大尉であった。

カーツ大佐の詩
カーツ大佐の詩のフレーズを図解したイラスト カミソリの上を這うカタツムリのイラスト

カーツ大佐の経歴は軍の最高司令官になってもおかしくない人物だった。それががなぜ、殺されなければならないのかウィラードに疑問がどんどん募っていく。

最後にはカーツ大佐は、アメリカの奥さんと子供に別れのメッセージを送る。

「車を売れ、家を売れ、子供を売れ」というフレーズがウィラード大尉の資料からカーツの送った文章の内容がわかる。

明らかにカーツ大佐は、常識を無くしてしまっている。

クリストファー・ウールの作品
クリストファー・ウールの作品 1988年

アメリカの現代画家の文字の絵画作品。クリストファー・ウールの絵画。

地獄の黙示録のカーツ大佐が、奥さんに送った手紙の内容を文字にした絵画作品。

子どもを売れという文字のインパクトがありすぎる。

1988年に発表した絵画で、地獄の黙示録は1980年の作品なので、8年後にクリストファーウールによってカーツ大佐を思い出すことになった作品です。

とても印象に残る過激な言葉の絵画作品でした。

クリーン
クリーン

映画の進行は、プラスティックボートという哨戒艇に乗って、川をのぼりながらカーツ大国に行くという展開。

ボートのメンバーの最年小の兵士の十代のクリーンが、ローリングストーンズのサティスファクションをFENで聴いて踊る場面も良かった。

アメリカ兵らしい明るさと映画前半の平和なムードで、まだカーツ大国につく前の和やかさがあった。

哨戒艇
哨戒艇

ベトナムの川を上ってカーツ大佐のもとへ向かうプラスティックボートの哨戒艇。

地味な船の訳は、敵に感ずかれにくく、情報収集に向いているらしい。ベトナム戦争を現わすのに最も向いた象徴の船だった。

哨戒艇
哨戒艇

 

ギルゴア中佐
ギルゴア中佐
戦争中に部下にサーフィンをしろ、と命令するギルゴア中佐。

ギルゴア中佐の登場は驚かされた。ウィラードの部下のプロサーファーのランスに向かって、自分もサーフィンが趣味で、ベトナムの波はサーフィンに向いていると感じて、うずうずしていたと語る。

ギルゴア中佐
ギルゴア中佐

ギルゴア中佐が敵に死のカードといって、トランプのカードを置くシーン。ギルゴア中佐のいかれているエピソードだった。

バーベキューのシーン
バーベキューのシーン

しかしギルゴア中佐は、第一騎兵隊の部下に慕われる良いリーダーの様だった。

夜にバーベキューをやり、部下の苦労をねぎらっていた。

朝の奇襲攻撃
朝の奇襲攻撃
朝早くから奇襲攻撃といって、ギルゴア中佐はヘリでの奇襲攻撃を仕掛ける。

この朝の空にヘリが飛ぶシーンも良かった。

ワーグナーのワルキューレの流れるシーン
ワーグナーのワルキューレの流れるシーン

奇襲攻撃の前にワーグナーの音楽をヘリから流し、アメリカ軍の戦闘意欲を高めるギルゴア中佐。このシーンは戦争をかっこよく映像化していた。

シーンスケッチ
シーンスケッチ
シーンスケッチ
シーンスケッチ
火を噴く戦車
火を噴く戦車

 

戦場でキリスト教を説く神父
戦場でキリスト教を説く神父

戦争と同時に、宗教の礼拝の儀式などもあり、ムチャクチャな戦場の場面。矛盾の表現。

奇襲攻撃のシーン
奇襲攻撃のシーン

橋を破壊しているシーン。北ベトナム軍を徹底的に攻撃しているところ。

ナパーム弾の大爆破
ナパーム弾の大爆破

 

ナパーム弾のシーンのスケッチ
ナパーム弾のシーンのスケッチ

最後のとどめのナパーム弾を撃ち込むシーン。

凄い爆音だった。映画の醍醐味の映像と音の効果絶大。

戦争の迫力が嫌でもわかるシーンだった。

ギルゴア中佐が、この朝のナパーム弾のガソリンの臭いが最高だ、というシーンが印象深い。

朝のナパーム弾の臭いは最高だ
朝のナパーム弾の臭いは最高だ

アメリカ軍がベトナム戦争で精神的に麻痺した感覚を感じる場面だった。

弾を怖がらないギルゴア中佐
弾を怖がらないギルゴア中佐

これから映画は派手な前半の場面から地味な暗い内容になっていく。後半はカーツ大佐との出会いのシーンまでだが、今日は一旦ここで終わりにさせてもらいます。

 

ヴェニスに死す ヴィスコンティの退廃美 

ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」は退廃美の映画です。

ヴェニスに死す
ヴェニスに死す

老作曲家のマーラーがヴェニスに旅行し、そこで出会った美少年に強烈に引かれていく映画。

ベニスに死す
ヴェニスに死す

作曲家のマーラーは、水の都ベニスに旅行していた。

自分の老いの哀れさを、お金の力でバカンスに浸り解消していた。

滞在しているホテルの客の中に輝くような美少年を見つけ、強烈にその外見の美しさに惹かれていく。

老いた男と美しい美少年の対比が強烈で、哀れでもある。

ヴェニスに死す ダーク・ボガード
ヴェニスに死す ダーク・ボガード

トーマスマンの原作は主人公は小説家だが、この映画では作曲家のマーラーに設定され、有名なマーラーの交響曲第5番の美しいアダージェットが映画のバックで常に流れている。

老人の感傷的なヴェニスの旅行を、美に憧れる芸術家として、情けなくも激しい感情として描かれている。

このマーラーの交響曲第5番の4楽章のアダージェットが、当時70年代にこの映画で有名になり、マーラーが世間一般に知られるようになった。

映画は、いわばきっかけを作ったと言える。

このアダージェットの音楽は、マーラーが当時恋人だったアルマに宛てたラブレターだったと言われている。

女性がとろけてしまいそうな甘いメロディーで、美しいが感傷的すぎるという人もいるであろう音楽。

映画では、この甘いメロディーが老作曲家の醜い悪あがきのように描かれている。
美少年に合うときめきで、老作曲家マーラーは、顔に化粧までして老いを隠し、美少年に好かれようとする。

映画で男の化粧を見せつけられ、ヴィスコンティの趣味に辟易してしまうのだが、マーラーのアダージェットの美しい音楽をバックに、それが上手く感傷的に映画化されているのだ。

映画ではヴェニスのホテルでは、その頃ペストが流行し、客は皆去ってゆくが、老いたマーラーは美少年がホテルにいるので、ホテルを引き上げられない。

そのうちマーラーもペストにかかり、病気に感染してしまう。

その病気にかかりながらも、美少年を眺める喜びの中で死んでゆく、というストーリーである。

確かに映画の美少年のビョルン・アンドレセンは美しい顔で、惹きつけられてしまう魅力を持っている。

ヴィスコンティの同性愛思考が、いい意味で美化されて映像化されているので、美しい映画に仕上がっている。

この映画をきっかけに、マーラーの音楽が一般に知られ、有名になったので、その功績はとてもも大きい。

ヴィスコンティの政治的な映画の中で、このベニスに死すは分かり易く、感傷的になれる映画で、傑作と言えると思います。

 

甘い生活 フェリーニの傑作映画

1960年のフェリーニの映画 甘い生活 マルチェロ・マストロヤンニ主演。

甘い生活
甘い生活

 

観た時も良くわからなかったが、最後の朝の海辺での腐った怪魚を発見し、

その傍で、マストロヤンニに呼びかける少女の笑顔が、やけに印象に残る映画だった。

映画は、終始憂鬱な新聞記者の退廃的な享楽な生活ぶりを描いていて、暗く重い雰囲気だったが、最後の少女の笑顔で救われた気持ちがする。

憂鬱な生活の悩みを晴らしてくれるのは、これからの未来のある明るい子供たの笑顔だった、というような結論に見えた。

大人の社会に染まった生活はどこか病んでおり、その享楽的で一日の仕事のストレスを酒やパーティーで解消する生活は、その日は楽しく終われても、希望のかけらもない生活に見える。

派手なパーティーの後の、家に帰る時のわびしさが虚しく感じる生活を、フェリーニは批判的に描いているように見えた。

甘い生活より
甘い生活

 

映画は、ローマの豪華なパーティーにふける派手な生活者の中で、戸惑いながら生きる新聞記者の、マストロヤンニの生活ぶりが描かれる。

ローマの豪華な生活ぶりが描かれトレビの泉など観光名所も出てくる。

豪華なパーティーのシーンが多く、夜の白黒の映像の闇の中のローマのなんとなく退廃的で、人々のいない夜の静かな町のシーンの中で、アメリカのグラマラスな女優アニタ・エグバークと新聞記者のマストロヤンニのトレビの泉の場面が印象に残った。

夜のローマの街が静かで歴史を感じるし美しく映像化されていて見事。

フェリーニは大女や小人、道化師など見た目の普通でない登場人物を、コミカルに良く使うが、社会の多様さを表現したり、その人々の人格を描くのが好きなのだと感じる。

見た目のインパクトもあるが、その人もその容姿の中で、悩み暮らす普通の人間だ、ということを表現したいのだろうと思う。

人々の多様性が社会というもので様々なハンディを負って人は生きているということの人間賛歌ということがフェリーニの映画の共通するメッセージに感じる。

結局は人間が好きだ、ということを多用な人々を登場させ、描いているのだと思う。

ラストの少女の笑顔に救われるのは、観客であり、大人は子供に助けられて希望を抱いて生きていく、という強いメッセージなのだと感じた映画だった。

終始暗く憂鬱な映画だが、最後が明るいシーンで終わるので、一種のカタルシスのような癒された映画に見えるのはそのためだろうと思う。

それにしても夜のローマの美しかったことは、この映画の映像の力だろう。

十二人の怒れる男は裁判映画の傑作

「十二人の怒れる男」は陪審員裁判映画の傑作で、議論するシーンが面白いです。

十二人の怒れる男
十二人の怒れる男

「十二人の怒れる男」は、はじめはアメリカのテレビ版ドラマだったのを、感銘を受けた俳優のヘンリー・フォンダが映画化したもの。

1957年のアメリカ映画でシドニー・ルメット監督作品。

設定は舞台劇に近く、室内での密室の議論をひたすら映像化したもので、撮影は約20日で撮り終えたという。

アメリカ独自の陪審員裁判の様子を1日中撮影したドラマで、ある少年の父親殺しの判決を議論するという一見地味な内容です。

証拠や証言からほぼ有罪が確定していた裁判を、一人の陪審員のヘンリー・フォンダのちょっとした疑問から、陪審員全員を取り込んで白熱した議論に展開していく。

有罪を信じて、ほとんどの陪審員が議論の余地なし、としていたが、一人ヘンリー・フォンダだけが納得せず、議論が終わらない状況になっていく。

他の陪審員は、速く終わらせようとヘンリー・フォンダの提案に、いらいらし始めるところから映画が面白くなってくる。

しかし、一つ一つの状況を検証していくと、現場の目撃者は老人で、記憶や耳の聞こえ具合に疑問があることが解ってくる。

証言台で証言した老人も、日ごろの寂しさから事件の証言者として注目される立場になり、英雄気分になっていたというところまで証言が信用できないと、ヘンリー・フォンダの提案で、有罪の証拠はあやふやになっていく。

証言者の疑わしさまで到達したヘンリー・フォンダの無罪への検証議論は、素晴らしい脚本の力を感じさせられた。多数決の恐ろしいさを、まざまざと示した映画である。

十二人の怒れる男
十二人の怒れる男

段々陪審員の中にも、ヘンリー・フォンダの少年が無罪かもしれない、という主張を受け入れる人が増えていく。

しかし、あくまで有罪と信じて疑わない陪審員との、対立の溝が深くなっていく。

有罪と思い込む心理の恐ろしさが伝わってくる。観客は、もしかして無罪ではないか?という疑いを強く抱かせる脚本が凄い。

わくわくしてくる展開だ。

そして最後まで少年の有罪を信じ切っている一人の陪審員が、実は自分の息子も放蕩息子で、自分のプライベートな感情を優先して陪審していたことが解り、最後は泣き崩れて少年を無罪と結論するに至る。

徐々に、有罪が無罪に流れていく過程が、複雑な陪審員の人々の感情と気分で、コロコロと変わっていく様子が実に見ごたえがある。

室内だけの地味な映像も物足りないと感じさせない脚本の力。

事件の目撃者というのも、考えてみれば記憶があいまいで、なんとなくその時に感じたものを証言台ではっきり述べるのは、無理があることをこの映画で実感した。

言わば、その証言者によって有罪か無罪が決まるほどの重要な証拠が、実はあいまいな記憶を思い出して作り上げている、かもしれないという恐ろしさがある。

目撃者も、犯罪とわかって現場を凝視していたわけではなく、なんとなく偶然遭遇しただけのあいまいな記憶を、証言台で述べるにあたり、その事件の裁判での状況や、検察官の誘導に促されてしまう弱さを持っている。

地域全体が少年を、もともと近所でも悪い評判を持っていれば、どうしても犯罪に結びつけやすい社会の思い込みがある。

その社会の思い込みの恐ろしさを、反省させられる陪審員のドラマで仕上げた映画であり、硬派な展開の映画ながら、最後は晴れ晴れした逆転無罪の終わり方をするところが、いかにもアメリカ映画らしい良さでもあると感じた。

時計じかけのオレンジ 過激なスタンリー・キューブリック監督作品

1972年のスタンリー・キューブリック監督作品、時計じかけのオレンジ、

暴力の圧倒的パワーで見るものを圧倒する。

時計仕掛けのオレンジ
時計仕掛けのオレンジ

前半の映像は特に70年代のファッション感覚が味わえる。

あのT・レックスやデビット・ボウイなどのグラムロックのファッションセンスがあふれていて時代の最先端の服装と室内装飾などのインテリアがカラフルであるのも魅力。

レインボーカラーのように派手尽くしの映像と暴力が当時の時代のウッドストックなど若者のヒッピー感覚や、自由へのユートピア思考がふんだんに溢れていて魅力だ。

もちろん主演のマルコム・マクダウェルの魅力が一番の魅力で、キューブリック監督が如何に自分のテーマに合った俳優を見つける能力が高いかがわかる。

2001年宇宙の旅も主演のキア・デュリアの整った顔の魅力が大きい。

イギリスのバンド、ポリスのスティングのような顔立ちが、小悪魔的なメイクによってT・レックスのマークボランを思わせる不思議なメイクに仕上げっている。

2001年宇宙の旅で難解なSF映画を作ったあとに、こんな暴力性のある映画を作るところは、全く不思議な監督である。

フランシス・コッポラ監督のようで、ゴットファーザーのあとに地獄の黙示録を撮ったような暴力シーンが得意になったら次も暴力で行くような発想と違い、なにを考えているのかがキューブリック監督の凡人とは違う天才性だと感じる。

とにかく普通の映画を撮りたくないという観客の度肝を抜いた発想は伝わってくる。

観客の度肝を抜いた奇抜な発想を見せたいという監督の表現欲の現れだろう。

キューブリックが鬼才と言われる所以である。

時計仕掛けのオレンジ
時計仕掛けのオレンジ

 

しかし映画の後半では悪事で警察に捕まり、実験の材料に自ら名乗り出て悲劇の人生を送ってゆく。

余りにも前半と後半での展開が違いすぎて、戸惑ってしまうほど後半の主役のマルコム・マクダウェルはかわいそうで見ていられなくなる。

それほど前半の悪さの連続のシーンのインパクトが見た当時は強すぎた。

雨に歌えばを歌いながらの暴力シーンは有名だが、本当に暴力と名作映画の名曲とのギャップがこれほどピッタリくるシーンも珍しい。

映画史の中でも歴史的名シーンに残る映像と音楽だろう。

やはり映画の魅力は音楽との結びつきが大事だという鉄則がここにもある。

そして意外なベートーベンの交響曲第九番の音楽の使い方も上手い。

2001年宇宙の旅の「ツァラトゥストラはかく語りき」と「美しき青きドナウ」の音楽の使い方と共通するクラシック音楽と現代的な映像との意外なマッチングである。

キューブリックの意外性がここにも現れている。

暴力に取りつかれた青年が、ベートーベンを愛するという設定の違和感が、妙に上手く映画に合っている不思議さがある。

この映画はなぜか、コッポラ監督の地獄の黙示録との共通点が感じられる映画で、まず地獄の黙示録も映像と音楽のとても合った映画でむしろ音楽が印象に残る映画であった。

ドアーズのジ・エンドで始まり、ローリングストーンズのサティスファクションで盛り上がり、さらにワーグナーのワルキューレが煽り立てる。

前半が戦争の快感を描き、後半は戦争の悲劇を描くという展開のまるで違う描き方。

なんとなくはっきりしない難解さなど、キューブリックとコッポラの共通点があるのである。

どちらも暴力性と難解さがあり、もしかしたらキューブリックはコッポラに尊敬の念を抱いていたのかも知れないなどと想像してしまう。

2人の監督はどちらも私の好きな映画を作った監督で、70年代の過激さと哲学的な芸術性が偶然、好みが似ている点があるのではないか?